アイドル連載企画

第3回 AH(嗚呼)りりかる*ことぱぉの若女将切り盛り旅館日記 ~自叙伝編~

プロローグ

8月の繁忙期も終わり。
しかし9月になっても平日も忙しく。
相変わらず働かせていただいております。
若女将です。
ちょっと今日は、わたしがどうやって今の形「アイドル若女将」に収まったのか。
そんなことを考えていきたいなあと思います。
一応今「アイドル」という形に至って活動中の一人の女の考えなど。
「若女将って設定ちゃうんや・・・」
「若女将はパワーワード」など言われることもありますので、
需要はないかもしれないけれど一つの平凡なようで少しだけ特殊かもしれない人生を振り返ってみます。

幼少期

私が生まれた日、父はダイナソーJr.を車で聴きながら病院へ向かっていたそう。
そんな父の元で育った私。
父の英才教育により、幼稚園の頃にはビートルズ名前だって全員知っていた。
ちなみに今聴くと幼稚園の頃を思い出す曲を代表してあげると、
「baby it’s you(the beatles)」「I’m not in love(10cc)」など。
とても懐かしい気分になる。
あの頃はまだ近所の道ばたに木苺が生えていて、よく摘んで食べていたっけ。
そんなことを思い出す。
幼稚園の頃は相当わるさで(ワルサってもしかして方言?ヤンチャみたいな意味)
幼稚園の水槽に入った金魚を毎日手掴みしようと手を突っ込んだり、
醤油1kg塩1kgを両手に持ち畳にぶちまけたり・・・
本当に生まれたての頃は夜泣きもひどく、母を困らせていたそう。

小学生時代と母

小学生になると同時にピアノを習い始めた。
ピアノは正直練習は嫌いだったけれど、
発表会でうまく弾いて「こっちゃんが学年で一番うまいね」と言われたいがために、なんとか練習をした。
通っている小学校では学年で一番うまかったのでいつももちろん伴奏役。
才能を発揮し小学5年の時ピアノのコンクールで賞を貰った。
その練習も同じ曲を1年くらい毎日練習し続けなきゃいけなくて、
本当に嫌になる日もとても多く、お母さんにもよく「練習しろ」と怒られた。
私はその頃からイライラなどを音楽にぶつけるようになった。
楽譜を引き裂いていたりもしていたため、私の楽譜はセロテープだらけでシワクチャなものばかり。
母に反抗は怖くてできなかった。正直母は今も怖い存在。

母はよく、昔話をする。成績がオール10だった話、生徒会長をした話、
会社に勤めている時昇進試験を一発で合格した話・・・母は頭がすごく良い。
「なんでそんなこともできないの」と、よく言われていた。
頑張っても、結果がでなければいつだって言われていた。
反抗的な態度を取るとすぐ「出て行け。どっか行け。帰ってくるな」と言われた。
母は頭にくると少しきつい言葉が出る。
心からは思っていなくて、カッとなるとそういう言葉が出ちゃう人なんだろうと思う。
小さいころ「出ていけ」と言われて、鞄にお菓子を詰め込んで「家出してやろう」って思ったこともあったけれど。
途中で私は「無理だ」って鞄を放り投げて一人で泣いた。
頑張ってもできないことはあるし、出て行けと言われても出て行けるわけがない。
そういったイライラだとかを、音楽にぶつけていたのだ。

当時の私には「作曲」するという発想はなく、ただ詩や文章を書いていた。妄想を書き殴っていた。
そんな高いレベルを求める母にも、賞を取った時は褒めてもらえたな。嬉しかった。
そしてその頃BLにはまり、絵を描きまくるようになる。
そのころ我が家にもパソコンが導入されて、パソコンなども使用して絵を描いた。
その時の技術が今フライヤー作ったりなどに活躍している。
ちなみに幽遊白書の飛影とその後声優の檜山さんにガチ恋をしていた。
好きなカップリングは蔵飛だった。自分のことを「クラヒスト」と呼んでいた。
小学生になった私は上記のこじらせを除き、成績優秀の「ザ・良い子」だったと思う。
勉強に厳しかった母の躾もあり、宿題は帰宅後真っ先に終わらせる。
夏休みの宿題は7月中にはだいたい終わっている。そんな真面目な子供だった。

中学生時代

中学に入り、相変わらずの優等生であった私。
塾にも入れられたが、そこでも成績上位クラスにいた。
だけど、一番ではなかったから、褒められることはなかったように思う。
むしろ怒られることが多かった。
この頃から「作詞」「作曲」というものを見よう見まねでこっそり始めていた。
実はこの頃歌手になりたいと漠然と思っていた。だけど誰にも言わなかった。
母は現実主義だし、父は家を継いで欲しそうだし、
こんなこと言ったら「無理に決まってる」と笑われるに決まっているから。だから言わなかった。
今、周りのアイドルを見渡すと、小学生・中学生の子だってたくさんいるし、ステージで歌っている。
その当時とは時代が違うというのもあるし、知恵も発想もなかったし、
あったとしても絶対に絶対にそのような活動に対して許しは得ることができなかったと思う。
ちなみに中学生の時はガンダムSEEDのイザークに恋をしていて、というか今も彼氏なので部屋に等身大ポスターを貼っている。
身体のラインがいやらしくも美しく出ているパイロットスーツのポスターだ。
ビートルズを好きになったのもこの時期だ。フランス・ギャルとかも父の勧めで聴いていた。

その後高校は京都で一番賢い女子校に決まった。
受験に合格した時さすがに母は嬉しそうだった。私も嬉しかった。
ちなみにその学校に決めた決め手は「制服がビートルズみたいだ」と思ったからだ。

高校。そこで私は衝撃的な出会いをするのでった。

「今井翼との出会い」

今井翼

高校二年生。ある日何気なく見ていたミュージックステーション。
タッキー&翼。Venus。今井翼という一人の男。完全に一目惚れだった。
女子校にはジャニオタが多く、それからは恋バナをするかのように毎日ジャニーズの話をした。
初めて行ったライブは高校二年の時の今井翼のソロコンサートだ。
実は、高校一年生の時も友達に他アーティストのライブに誘われていたけれど、
母の許しが出なかった。「夜遅くなるから」と。
でも。もうそんなの我慢できなかった。今井翼に会いたくて仕方なかった。
もうまじでお願いした。そしたら許しが出た。
私なりの一番のおしゃれをしてライブ会場へ向かう。
遠くから(双眼鏡で)眺めているだけでも息が止まりそうだった。ドキドキして。
同じ締め切られた空間で空気を私も今井翼も吸っている。もうキスしている同然だと思った。
本当にかっこよかった。もうまじでかっこよかった。
天体望遠鏡を買えばもっとよく見えるかなとか考えた。
ほとばしる汗。舐めたい!と思った。

そこから私は今井翼の気持ち悪いガチ恋オタクになってしまった。
毎週翼のやっているラジオにいろんなことを投稿しまくった。
なかなか当時の私は尖っていた(?)こともあり、採用率が高かった。
(大喜利で優勝したりできたのはこういう経験が功を奏したのかもしれない)
すごい時は一日で2通採用された。
30分以内に私の名前を2回も呼んでくれるなんて恋人みたいだと舞い上がった。
次の日学校へ行くと「好きな人からメールがきた!」くらいの(以上の)テンションで友達に報告した。
毎週そのラジオをMDに録音していた。携帯で録音してデータに直して、採用されたはがきの名前を呼ぶ、
翼が「ことえ」と言っている部分だけを切り取って目覚ましにしていた。
ちなみにその時はSteely Danをよく聴いていた。
翼が好きだというからU2も全部そろえた。
この時の私は、
「良い大学に入って、記者とかになってインタビューなどをきっかけに今井翼と交際が始まり最終的に結婚したい」と思っていた。

もちろん作詞作曲は続けていた。翼への思いを綴っていたから。
溢れて伝えられない想いは音楽にこぼした。
音楽とは不思議で、しっかり密閉して色あせないように保存してくれる。
だけど音楽は大学に入ってからやればいいから、と私は勉強をした。
作詞作曲は全て趣味程度に抑え誰に聴かせることもなかった。
高校と大学はエスカレーターで行けるシステムだったが、女子校から女子大へ行くことはしなかった。
バンドをやるならやっぱり男がいたほうが腕に期待できると思って、男女混合の大学を目指したのだった。
ずっとやりたくて我慢してきた音楽をやりつつ、今井翼と結婚するために。

今井翼に出逢ってからというもの勉強をものすごく頑張るようになった。
テストの2週間前からテスト勉強をした。毎日予習復習をした。
授業後図書室で勉強し、閉まる時間になると大学の食堂へ移動し勉強した。(高校と大学は隣に建っていたため)
家に帰ってからももちろん勉強していた。
歴史の教科書は全て暗記して人にペラペラと語れるほど覚えた。(今は全て忘れた)
数学はテスト勉強という勉強をしなくていいように普段からかなりやった。
行き帰りの通学時間(往復で2時間、滋賀から京都へ行くので)も勉強した。
でも地頭がそれほどよくない私は、それだけやってもクラスで1番ではなかった。

勉強するには糖分が必要だ。学校にお弁当プラスおにぎりを3つくらい持って行って、
休み時間のたびに食べた。
結果かなり太った。
それでもいい、大学に入ってから、翼に会うまでに痩せればいいのだから。

大学生時代と妹

そして立命館大学に決まった。
母はもっといい大学に行って欲しかったので、大学が決まった日その旨を報告すると「あっそ」と言ったのだった。
でも私にはこれが限界だった。
高校に入ったくらいから宝船温泉の経営がかなり傾いていたので、早稲田など遠くの大学は断念した。
わたしは母の反応に傷つきつつも、「まあそんなもんか」と納得をした。
昔からまじめで成績優秀だった私。きっともっと偏差値の高い大学へ入ることを期待されていたんだろう。
正直なところ、家計事情もあり本当は国立大学へ進学して欲しそうであった。
私には思い描いていたキラキラとしたキャンパスライフがあり、どうしてもその理想に近いのが私立の大学だった。
立命より早稲田の方がネームバリューはあるけどさすがに一人暮らし+私立大学は無理だった。

そして大学に入った私は音楽に没頭する。
オリジナルバンドも、コピーバンドもたくさんやった。
どれも、自腹を切ってライブに出る「遊び」ではあったが、充実していて友達もたくさんできた。
立命館大学には最終的に馴染めなかったものの、音楽を通して他大学の友達がいっぱいできた。
そんなことをしているうちにだんだんと今井翼への思いは薄くなっていった。
よくよく考えたら、
「良い大学に入って、記者とかになってインタビューなどをきっかけに今井翼と交際が始まり最終的に結婚したい」
って割とおかしい。

私は立命館大学に馴染めなかった。
授業が減った3回生あたりからは、大学へ行っても授業を受けるだけで誰とも話したりせず、お昼を食べる約束もしなかった。
しかし滋賀の実家から立命館大学(衣笠キャンパス)までは、片道で2時間かかる。
往復で一日4時間の移動。苦痛で仕方なかった。
その4時間ずっと音楽を聴いていたけど、何曲聴いても聴いても学校へたどり着かない。途方もなく遠い。
長い通学時間を緩和する方法、わたしが編み出したのが「プログレを聴く」という方法だ。
一曲が長いので、通学時間が短く感じた。そこからわたしは派生してサイケにハマる。
サイケバンドを組んで、燃やしたTシャツを衣装にしたりして。

そして就活の時期を迎える。
実は私は就活をしていて、失敗している。(一応一社から内定はもらっていたが、行かなかった)
就職活動真っ盛りの時、東北地方太平洋沖地震が起こる。
地震の直後、次々と説明会や採用活動取りやめが相次いだ。
そういう影響もあってかなかってか、私の大学の友達も就職留年する人や、
卒業後資格試験受ける方へ移行する人など進路は若干荒れたように思う。
そのタイミングで妹が立命館大に入ることが決定した。

妹は今でこそ「○○銀行」で勤めるほどエリートだが、中学の頃は荒れていた。
髪も染めてたし、ピアスもあけていたし。
成績は下から数えて10番目とか、20番目とか?私の真逆だった。
それに母も慣れてしまったのか、ひどい点数をとっても、妹は怒られなくなった。
わたしなら殴られていてもおかしくない点数だ…。
高校は母がほぼ強制的に京都の高校へ行かせた。
先生や友達がよかったのもあり、妹はすっかり更正(?)し、AO入試で立命館大へ。
わたしよりはるかに短い期間の努力で同じ大学(学部も同じ)へ行ってしまった。
一度成績の落ち込んだ妹が立命館大学へ。リアルビリギャルみたいなもんだ。
その時母は拍手をして喜び、その夜にはおめでとうのケーキが食卓に並んだ。
その時、私の中で音を立てて何かが壊れた。(パリーン!)
いや、ゆがみの原因が生まれたともいうべきか。なんだろう。わからないけど。
昔から妹の方が顔がかわいいことも分かっていたし、私にとってそれが最大のコンプレックスでもあった。
「わたしの方が賢い」「わたしの方がピアノがうまい。賞も取っているから」
そう自分を慰めてきた言葉の1/2が無くなってしまった。
最終学歴が同じになってしまったのだから。
私に残っているのは音楽の部分だけ。
だけど高校でピアノをほぼやめてしまった私はもはやピアノもへたくそになっていた。

若女将、そしてアイドルへ

そんなこんなで晴れて私は大学卒業後、「宝船温泉の若女将」となったわけです。
わたしが若女将になる直前、
つまり卒業間近のタイミングでやっとこさインターネットで宿泊予約ができる手続きをした。
そう、その日までうちはじゃらんにも楽天にも載っておらず、電話予約のみなのであった。宿の経営が傾いたのも頷ける。
頑張ってわたしがホームページを作り(最初は料理の写真も私がデジカメで撮影したものだった)、
インターネット予約受付開始し、再起をかける時!というタイミング。
それがわたしが若女将になったタイミングであった。

家の収入だけでは給料を払えないから、と私は母にバイトを勧められた。
仕事はくもんの先生だった。そこから3年ほどくもんにお世話になることになる。
子供はかわいかったし、教えることは嫌いじゃなかった。
ただもう中学高校の数学なんて忘れているし勉強し直しが大変だった。
でも色々な経験があったな。いい経験だった。
ちなみに採点が異様に早かったらしく「採点マシン」と呼ばれた。

若女将になった後も、音楽は細々と、趣味程度に売れないバンドを組んでいた。
しかしそのバンドもメンバーがやめるわ飛ぶわ、遅刻するわ。
もうダメだと思って新たにメンバー募集しても「ちゃんとした応募」をしてくれる人の少なさに本当に疲れた。
ドラムもベースも次々にやめていき、バンドに疲れていたころ。
私たちのバンドをイベントに誘ってくれたイベンターNさんに「アイドルやらない?」と言われた。
その場所が、難波メレである。(8/17にワンマンもした、一番思い入れの深い箱です)
それが、本当にきっかけ。ソロでのスタート。

理由は「おもしろそう」というのと、「一緒にやろう」という言葉。
誰かに、音楽で必要とされること。最初はカバーばかりのセットリストでも何でも。すごく嬉しかった。
もうその時点で2○歳。遅すぎる、アイドルデビュー。予約はもちろんしばらくゼロ。
その後、(半年くらいかな?)方針の違いなどがあり、Nさんとはバラバラで活動をすることになる。
今もその方とは顔を合わせるし、ワンマンも来てくれて、良い関係を築けていて、本当によかった。
ありがとうございます。あなたの一言がなれけば、今の私も曲もありません。
そしてしばらくはソロでの活動。そこで、すーちゃんと出会います。
引き合わせてくれたのは難波メレ。
ソロの頃はお互いに集客なんて1人、2人、3人・・・
そしてそんな二人でAH(嗚呼)が結成されるわけですね。

セルフプロデュースとお金

最初はプロデュースしてもらっていたし曲ももらっていたけれど、
やっぱり私は当初の「自分の曲がやりたい」という欲を忘れることができなかった。
なかなかAHの集客も増えず、悩んでいた時。
いつも出演させていただいているイベントから
「これ以上集客少ないのが続くと、もう呼べません」と言われてしまった。
セルフプロデュースになろう!と私を決心させた一言。
この宣告を受けてから、曲を作って新生AHとしてライブまで、2ヶ月くらいかな。
急ピッチで、色々仕上げた!
曲を作って、友達に編曲できる友達を紹介してもらって、衣装も友達につくってもらって。
最初のAH(嗚呼)のシングル「彼女になりたい」がA版B版とあるのは、
お金がなくてカメラマンを雇えなかったので、お互いをデジカメで撮るしかなかったからです!笑

そしてそんなふうにセルフプロデュースとして再始動して、
しばらくして、売り上げ金だけでなんとかAH(嗚呼)の活動だけは回るようになった頃。
ちょうど同時くらいに、家も忙しくなったので、くもんの先生をやめました。

忙しくなったからと言って、お給料を満足にもらえる訳ではない。
月に一回は必ず泣いてしまうほどお給料は少ない。
お客さんから色んなクレームだとかいちゃもんの処理する日なんて最悪。
「なんでわたしこんなことここでやってんだろ?」って思ったりする日もある。

「若女将」はパワーワードだと私も思っています。だけど、それだけじゃない。決して甘くない。
繁忙期には休みが全然ないし、仕事の合間に物販つくって、
チェキの宿題やって、汗だくになって働いて、給料は・・・・。
衣食住に困っていないし、家のビールは飲み放題だけど・・・
自由に使えるお金が本当に少ないから、周りが羨ましくなる時もあります。

そんな環境下で仕事をする上で、「音楽」「仕事(若女将)」を「アイドル」というツールで繋げることができているから、
モチベーションを保てている、というところがあります。
あと、「わたしがアイドルやっている」というのはコンプレックス克服のすごく重大なワード。
すべてをやっと繋げることができたと思う。自然とできた納得の形。

ほんの少しずつメディア露出も増えて、母も父も少しずつだけど、認めていってくれてるように思う。

アイドルの話をすると、もう、アイドルは多様化しすぎて、何でもありのエンターテインメントになりつつあると私は思う。
だけど、じゃあわたしのなりたいアイドルって?
難しいよね。もうこんだけ多様化すると、自分なりの芯を持つしかなくなるから。
オタクだっていろんなアイドルを見てきてそれなりに自分の理想像があるわけだ。それも多様化してる。
だからこそ負けたらあかんと思うんや。自分だけはぶれたらあかん、と思う。

ここまでずっと自分の話をしてきたけれど、
私はAH(嗚呼)っていうアイドルをすーちゃんと二人でやっていきたいと思ってる。
元々アイドルが大好きなすーちゃん。アイドルグループに在籍していたこともある。
ダンスが上手で、ポジティブで。
彼女もまた、同じような家庭の境遇で、家の介護施設で働いている。
性格や色々が正反対なわたしたちは、境遇がすごく似ている。そんなアイドルともうこの先出会うことはないと確信している。似ているからこそ、この2人だから意味がある、分かり合える、励まし合える、たった1人の存在、それがすーちゃん。

わたしは給料が・・・とかさっき書いてしまったけど、すーちゃんだってお給料は本当に少ないのに、
それでもキラキラした笑顔で「仕事が楽しい」って言うの。
わたしは心の底から彼女はアイドルだと思う。いつだってキラキラしてる。
わたしもすーちゃんみたいになりたいなって思う。

若女将と介護士のアイドルAH(嗚呼)。
年齢も年齢やし、周りはどんどん結婚していって、いつまでやれるか、
いつまで「アイドル」と名乗ることを許されるのか、全然わからない。
だけど今の私は「アイドル」と名乗れることでひとつコンプレックスは消化され、自信に満ちる。
年をさらに取ればさらに違う心の境地になるだろうから、その時はその時で呼び名を変えたり
なんだかんだしながら、音楽は続けていけたらなあと願っています。
パワーワードの反面、いっぱいハンデもあるけれど、そんなの言い訳にしたくないな。と思う。
もしこの記事をここまで見てくださったイベンターさんなどがおられたら、連絡お願いします。
AH(嗚呼)は思ってるよりフットワーク軽いので!もうチャンスは全部つかんでいきたいので。
なりふり構わず楽曲を届けに!参りますので!!!どうぞよろしくお願いいたします。

私(エピローグ)

私がなりたいのは。完璧な私。
かわいくて、いい曲が書けて、賢い、アイドル若女将。
それが、なりたい私。
もはや自分がなりたいアイドル像を追求する時代だからこそ。
だけどこんな時代だからこそ認めてもらえる存在、「アイドル若女将」「アイドル介護士」。
それがAH(嗚呼)の落ち着いた、ひとつしかない居場所です。

アイドルだけじゃなく、人それぞれがなりたい自分を追求するべきだと思う。
話は少し逸れるかもしれないけれど、だからわたしは半オタとか、オタクとか、業界人とか気にしたくない。
行動力がある人が素敵で、なりたい自分になろうとすればいい。
誰だって好きなものには特化するし、好きなもの追求するのはめっちゃくちゃいいことだと思う。
あなたはどんなオタクになりたいですか?
疲れたら、宝船温泉で癒やせばいいよ。(おひとり様一泊二食付きで¥17820です!)

若女将の生い立ち等々、長々とありがとうございました。
すっきりしたので、仕事に戻ります。

AH(嗚呼) りりかる*ことぱぉ

AH(嗚呼)今後の予定

AH(嗚呼)関連リンク

Twitter @_kotopao
AH(嗚呼)公式サイト http://ahofficial.web.fc2.com/
OFFICIAL WEB STORE https://ahwebshop.thebase.in/
宝船温泉 http://takarabuneonsen.web.fc2.com/

AH(嗚呼)MV

次回予告

次回のことぱぉさんの女将日記は10月12日(木)です。
お楽しみに!

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ことぱぉ(AH(嗚呼))
AH(嗚呼)楽曲制作担当。 滋賀県高島市の温泉旅館「宝船温泉」の若女将とアイドル活動の両立に勤しむ。
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